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夏目漱石の小説「吾輩は猫である」はもともと・・・

08 13, 2007 | Posted in 歴史の雑学

2 Comments
こんにちは。

ようやく学校から出された課題が終わりそうです。
夏休みももう後半に差し掛かっているので、そろそろ1,2年の復習に入らないといけません。

無駄話はそれくらいにして、雑学を紹介します。





夏目漱石の小説「吾輩は猫である」はもともと、「猫伝」という題名でした。
それを「吾輩は猫である」という題名にしたのは、高浜虚子です。





補足1:「吾輩は猫である」とは、夏目漱石の長編小説です。
1905年1月の「ホトトギス」に発表し、好評のため翌年8月まで継続しました。


補足2:夏目漱石(本名:金之助)とは明治・大正期の小説家、評論家、英文学者です。
『吾輩は猫である』『こころ』などの作品で広く知られ、森鴎外と並ぶ明治時代の文豪です。


補足3:高浜虚子(本名:高濱 清)とは明治~昭和期の俳人、小説家です。


補足4:主人公「吾輩」のモデルになったのは夏目家に飼われていた野良猫です。
実際、この猫には名前が無かったらしいです。1908年9月13日に猫が死亡した際、漱石は親しい人達に猫の死亡通知を出ました。



参考にしたサイト
吾輩は猫である-Wikipedia

夏目漱石-Wikipedia

高浜虚子-Wikipedia


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キリストの誕生日

12 25, 2006 | Posted in 歴史の雑学

0 Comments
メリークリスマス。

今日はクリスマスです。ということでクリスマスにちなんだ雑学を一つ、紹介しようと思います。


有名なキリストの誕生日についての雑学です。





キリストの誕生日は、なんと12月25日なのです。















・・・・・・というのは嘘です。

それだけだったら大抵の方が常識として知ってる(と思う)んで。

12月25日、クリスマスは別にキリストの誕生日などではありません。

では、キリストの誕生日はいつなのか?



その答えは「分からない」です。

キリストの誕生日は誰も知らないんです。


なぜクリスマスがキリストの誕生日になったのかは、補足にて。




補足1:クリスマスとはキリスト教の記念日・祭日です。


補足2:実際にはキリストが何日に生まれたかということは定かでないですし、初期キリスト教の時代には、教会も教徒もキリストの誕生日にはそれほど関心がなく、祝う必要も感じていなかったらしいです。
なので、キリストのちゃんとした誕生日は分からないのです。


補足3:現在のようにキリストの誕生が12月25日に定められたのは、4世紀半ば、コンスタンティヌス帝統治下のローマでのことだったとされています。


補足4いつ生まれたのか定かではないキリストの誕生日が、この日になった理由

当時のローマでは、太陽神を崇拝する異教が大きな力を持ち、ほぼ冬至にあたる12月25日を太陽神を祭る祝祭日としていた。
そこでコンスタンティヌス帝と教会の思惑が絡み合い、異教徒との対立や摩擦を生むことなくキリスト教が浸透するように、この日が降誕祭に選ばれたというのである。


補足5:冬至を降誕祭の日にしたことは、クリスマスが世界に広がるひとつの要因になったといえます。
なぜなら冬至というのは、一年のうちで昼の時間が一番短くなる日で、それから日増しに日が長くなっていくことから、この日に新しい太陽の誕生を祝うという習慣は、世界を見渡しても決して珍しいものではないのです。


補足6:ヨーロッパの国々のなかでも、エストニアやスカンディナヴィアでは、いまでも冬至をキリストの誕生日とみなす考え方が残っている地域があるらしいです。



参考にしたサイト
+++クリスマスの起源と伝統+++

クリスマス - Wikipedia

歴史上一番短い戦争

12 21, 2006 | Posted in 歴史の雑学

2 Comments
戦争についての雑学です。

嫌ですね、戦争。将来が心配です。

では少々テンションが下がったところで、雑学を紹介しようと思います。





歴史上一番短い戦争は、イギリス・ザンジバル戦争で、わずか45分しか継続しませんでした。


早く終わってよかったです。





補足1:戦争とは武力を用いて争うことで、特に、国家が自己の意志を貫徹するため他国家との間に行う武力闘争のことです。


補足2:イギリス・ザンジバル戦争とは、1896年8月27日にイギリスとザンジバル間で起こった戦争の呼称です。


補足345分で終了した理由

1896年8月27日午前9時丁度を皮切りに、宮殿を標的としたイギリスの集中砲火が始まった。
グラスゴーは途端に沈没、スルターン宮殿は崩壊、犠牲者の数は拡大し、バルガシュは避難所と考えていたドイツの領事館へ早々と撤退した。
砲撃は開始時刻の9時から45分後に終了した。
要するに、集中砲火によって宮殿などが崩壊したため、すぐに撤退したからである。



参考にしたサイト
イギリス・ザンジバル戦争-Wikipedia


光源氏の子孫

12 08, 2006 | Posted in 歴史の雑学

6 Comments
美男子だったことで有名な、光源氏についての雑学です。

では、光源氏の子孫は誰なのか、紹介します。





光源氏の子孫は、松田聖子です。

あの歌手の、松田聖子です。





補足1:光源氏とは紫式部の物語『源氏物語』の主人公です。
『源氏物語』中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場します。


補足2:架空の人物ですが、嵯峨源氏の正一位大納言、河原左大臣の源融(みなもと・の・とおる)をモデルにしたとする説が有力です。


補足3:松田聖子とは歌手(シンガーソングライター)、女優、作曲家、音楽プロデューサーです。


補足4:松田聖子の先祖を遡っていくと、先祖が嵯峨源氏の源融であることが分かります。


補足5:藤原道長の兄の藤原道兼も、松田聖子の先祖のようです。
コメント欄で矢加部さんが詳しく紹介して下さっていますので、
そちらをご覧ください。




参考にしたサイト
光源氏-Wikipedia

松田聖子-Wikipedia


生類憐みの令は・・・

11 07, 2006 | Posted in 歴史の雑学

4 Comments
どうも。


あの犬が大好き徳川綱吉が出した法令、生類憐れみの令についての雑学です。

知らない人のために説明しますが、生類憐みの令とは簡単に言うと色んな動物の殺生を禁止することです。

自分も動物は比較的好きなほうですが、ここまでするのはすごいですね。

ということで、雑学いきます。




生類憐みの令は捨て子にも及んでいました。




補足1:生類憐みの令とは江戸時代の元禄期に出された多数のお触れ(法令)のことです。
特定の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼びます。


補足2:一般的には「苛烈な悪法」「天下の悪法」として人々に認識されていますが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この令も再検討されています。


補足3:この法令を出したのは徳川綱吉です。
徳川綱吉とは江戸時代の幕府第5代将軍です。3代将軍家光の4男で、幼名は徳松。


補足4:生類憐みの令は綱吉が1709年に死去(享年63)し、家宣が将軍になったとき、「生類憐みの令」はすぐに廃止されたといいます。




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